典當業展示館 (マカオ)

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カジノの周辺に質屋はマカオとは切っても切り離せない存在。典當業展示館ユネスコから表彰も受けたことのある質屋の博物館です。



こんにちは、香港ナビです。マカオの中心街、特にホテル・リスボアの東側やセナド広場周辺で「押」や「按」の文字を見かけると思います。香港も同じですが、これは質屋のことを意味します。今回はそのセナド広場から徒歩数分のところにある「典當業展示館」を紹介します。

マカオ質屋の流れ

大きな看板がドーンと構えています

大きな看板がドーンと構えています



香港・マカオ、いや中国では質屋のビジネスは大昔から確立していました。この博物館は1917年に建設された「徳成按」という質屋で高可寧という富豪によってオープンしました。高可寧は質屋のほかにもアヘンに関するビジネスをしたり、現カジノ王の何鴻橤(スタンレー・ホー)の前にマカオのカジノを仕切っていました。病院や学校も開設させており、マカオの歴史を語る上で欠かせない人物です。徳成按は1993年に廃業したのですが、保存状態も良かったためマカオ政府らが出資して博物館として2004年に生まれ変わりました。2005年にマカオにたくさんの建物が世界遺産に指定されましたが、この建物は2004年にユネスコからアジア・太平洋地域の文化遺産に関する表彰を受けています。

1903年10月28日に質屋について規定した文章

1903年10月28日に質屋について規定した文章

なぜマカオで質屋が発達したかというと、それはもちろんカジノです。ここのオーナーはカジノも経営していましたから、質屋ビジネスはカジノの売り上げを増やす方法として理にかなっていました。今でこそマカオの中国人が大勢繰り出していますが、その前のお得意様はやはり香港人でした。そこでマカオの質屋は、カジノの資金が必要になった香港人に対して、一定の費用を払えば質にいれたモノを香港で返すというシステムを確立しました(実際には、マカオの質屋は香港の委託した質屋に商品を送るという形です)。質屋としての経営努力もしています。

そのほかの理由として、第2次世界大戦のころから中国大陸の避難民がマカオに押し寄せてきます。その影響で、人口はわずか数年で15万人から50万に急増するのですが、食料などを中心に品不足に陥りました。質屋は現金に換えて必要なものを買うための手段として非常のマカオ市民に重宝され1950年代には全盛期を迎えます。しかし、年を追うごとに生活水準が上がっていき、銀行業が発達したことで質屋の需要は減り1970年から1980年代にかけて多くの質屋がなくなって行きました。

中に入ってみましょう

博物館はマカオで一番有名な通りである新馬路(Av. Almeida Ribeiro)沿いにあります。外観はいかにも歴史的な建物という感じですが、歩道を歩いていると建物としてのたたずまいが周りの景観に溶け込んでいるので、通りすぎそうになるので気をつけましょう。

入口の直後に「按」とかかれた大きな箱というか赤い囲いがあります。これは、だれがこの店に来ているのかを隠すというプライバシーの保護のためのものです。客とお店の人の間は鉄格子で仕切られ、しかも受付はちょっと高いところにあるところをみると防犯対策はしっかりしているという印象を受けます。入口の右側には営業時間のほか、質に入れた品が100パタカで毎月3パタカの利子がつくと書いてあり、満期は半年という看板が掲げられています。今度は鉄柵の内側、つまり事務所側のほうに入ってみます。質の受付がいた台にあがってみると思ったより高さがあり完全に客を見降ろす感じになります。

客はこの赤い囲いの中にはいって質屋と話します

客はこの赤い囲いの中にはいって質屋と話します

ちょっと高いところにある受付

ちょっと高いところにある受付

受付はこんな高い位置にあります

受付はこんな高い位置にあります

営業時間や利子についての概要

営業時間や利子についての概要

奥に見える人をみても、かなり高い場所に受付があることがわかります

奥に見える人をみても、かなり高い場所に受付があることがわかります

当時使われていた資料がいっぱいで、実際に質に入れられたものとお金を貸した値段、貸し出したお金の払い戻し方法(金額や払い戻しの回数)などが書かれた資料が見られます。また、職員に対しても、「期限をきれた商品を違う客が買いたいを要求されても勝手に展示ケースを開けてはいけない。破った場合は即解雇」と警告しています。

資料が入ったテーブル。当時は鑑定に使われたのでしょうか?

資料が入ったテーブル。当時は鑑定に使われたのでしょうか?

こんなものもありました

こんなものもありました

職員へのルールについて説明するもの

職員へのルールについて説明するもの

当時を偲ばせる資料が展示されています 当時を偲ばせる資料が展示されています

当時を偲ばせる資料が展示されています

当時使われていた印鑑など 当時使われていた印鑑など

当時使われていた印鑑など

店からの心構えがかかれた板

店からの心構えがかかれた板

ここの店のではありませんが、質屋であるということを証明するプレート

ここの店のではありませんが、質屋であるということを証明するプレート

店の裏側は、商品を保管しておく倉庫

右側が店、左側が倉庫

右側が店、左側が倉庫




この質屋は大きく分けて、いわゆる受付のあるお店の部分と後ろの部分は倉庫という構造になっています。レンガなどを使い途中には鋼板を混ぜて堅牢な作りとなっています。もちろん、強盗を防ぐために窓は小さくしかも鉄柵が付けられています。火災、洪水、強盗という3つから商品を守るというのが基本コンセプトです。

防犯対策として倉庫の窓は小さく窓をカバーする木枠も 防犯対策として倉庫の窓は小さく窓をカバーする木枠も

防犯対策として倉庫の窓は小さく窓をカバーする木枠も

急で細い階段を上がっていきます

急で細い階段を上がっていきます





下層階は、木でできた大きな箱があります。ここは倉庫で最も重要なところで、ジュエリーや金、骨董品などの高価なものを保管しておくところです。上の階は、木で大きな棚が作られ、そこに質に入れられた商品が置かれていたようです。
貴金属類がある部屋は、牢屋のような鉄柵のドアで厳重に管理されていました 貴金属類がある部屋は、牢屋のような鉄柵のドアで厳重に管理されていました

貴金属類がある部屋は、牢屋のような鉄柵のドアで厳重に管理されていました

商品が保管されていた場所で、このような商品はこのような箱に入れられていました 商品が保管されていた場所で、このような商品はこのような箱に入れられていました

商品が保管されていた場所で、このような商品はこのような箱に入れられていました

文化会館としても使われています

実はこの博物館は再修復された際、文化会館としても生まれ変わりました。まず地階は工芸品などを販売するお土産店になっています。ここの会計が博物館の受付も兼ねています。上にあがると、書籍、アクセサリーが並んでいる藝品広場のほか図書館も置かれています。さらに上の階は、中国茶が楽しめる(無料の試飲もあり)水茶軒、ミーティングや友人との会話に使える部屋というのがあります。

文化会館の内部。きれいに修復されて上に行く階段にも雰囲気があります

文化会館の内部。きれいに修復されて上に行く階段にも雰囲気があります

上からみた事務所側(左)と倉庫

上からみた事務所側(左)と倉庫

こちらでも資料が見られます

こちらでも資料が見られます

図書館が併設されているので中国文学、哲学などの本を読むことができます

図書館が併設されているので中国文学、哲学などの本を読むことができます


いかがでしたか?日本でも質屋に行ったり、知る機会というのはなかなかないかもしれません。そういう意味でもこの博物館に来れば訪れる価値があると思います。マカオの中心街にあるのでぶらりと立ち寄る気分で行けば、ローカルなマカオ文化を知る機会になることでしょう。以上、香港ナビがお伝えしました。

記事登録日:2009-12-04

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スポット登録日:2009-12-04

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